思い出したように時たまひくひくと身体を痙攣させることで、"彼"−"彼女"なのかも知れないが"それ"と呼ぶのには抵抗がある−は辛うじて死体と呼ばれることを拒否している。俺はその姿を眺めながら、"彼"との出会いはいつだっけ、と思い出す。
公演期間中だったから、9月の頭か。体力と気力がギリギリのなか半分どころか4分の3くらい眠りながら、這うようにしての帰宅。鍵を開けるのももどかしくドアを開けると"彼"がいた。いた、と言っても俺の目がその2本の触覚と黒光りした体躯を捉えられたのは一瞬だけで、すぐに物陰に姿を消した。平時なら本棚を動かすことも厭わず追い立てて追い立てて「確殺」するところだが、今は疲労と眠気でそれどころではない。「命拾いしたな」と口に出すのも面倒臭く俺はベッドに倒れこんだ。
その後も幾度となく"彼"は現れた。
シャワーを浴びようとしたら風呂場に。買い物後には冷蔵庫の上に。一時は余りにも頻繁に出現するので、いつでも探しているような感じであった。玄関の靴の横。トイレの壁。本棚の隙間。向かいのホーム。路地裏の窓。こんなとこにいるはずもないのに。
もちろんいつもいつも眠気にやられてるわけでもないので、俺は"彼"には殺意を持って相対した。手近にあるものを振り下ろし、洗剤をぶち撒けた。しかし、ことごとく"彼"は逃げ果せた。どこかの隙間に潜り込み、ほとぼりが冷めればまたひょっこり顔を出した。
そして季節は巡る。
俺が最初に異変に気付いたのは、自室の天井に"彼"が現れたときだった。
ベッドに寝転んで本を読んでいた俺の視界の端に黒いものが入り込む。俺はすかさず部屋の物干し竿を手に取る。
ここで問題が起こる。賃貸物件、それもアパートに住む読者諸賢ならわかるだろうが、壁や天井に張り付く害虫を殺すのには細心の注意を払わなければならない。なぜならその駆除には多くの場合、副次的被害が付いて回るからだ。壁や天井を強打することによる隣人とのトラブル。壁の凹み、障子の破れ。飛び散った体液、特に蚊の場合には血液の処理も問題だ。そういったリスクとここで逃した場合の被害の拡大を天秤にかけ、できる限りのアセスメントと事後計画を考慮した上で、しかし徹底的な殺意を持ってこの時も俺は物干し竿を天井の天敵に突き出したのである。
結果として、ご近所トラブルと還らぬ敷金が頭をよぎったことで打ち込みは非常に緩いものになった。そのうえ狙いも外れ、弱々しい打撃は"彼"の数ミリ横で「カツン」という音を立てるにとどまった。
しかし、である。いつもなら自身に対するありとあらゆる攻撃をその敏捷さで回避する"彼"が、微動だにしない。すぐそばに凶器があるというのに、逃げも隠れもしない。不思議に思うのと「畜生なめやがって」という気持を半々に、おれは"彼"目掛けて物干し竿を横に薙ぎ払った。
今度の攻撃は対象の胴体を正確に捉え、"彼"は力なく天井から真っ逆さまに落下した。おれは打撃が命中したことにむしろ驚いて、黒いものが見上げる形になっている顔に落下してくることに更に驚いて、「ひゃあ」というなんとも情けのない声を発し飛び退いた。"彼"はというと床にべちゃっと落ちたあと、何事もなかったかのようにどこかへ潜り込んだ。いつもなら全くもって通用しないおれの攻撃が。"彼"の消えた部屋に取り残されたおれは、くしゃみをひとつする。
そうか。秋か。
それから別れまでに、日はかからなかった。
流し場に現れた"彼"にはもう、鋭敏さは欠片も見られなかった。電気を点けたおれに気付くと、暫く佇んだあと、「よっこいしょ」というように、のそのそと積み上がった洗い残しの皿の下に向かう。おれは潜り込もうとした"彼"の動きに先回りして、流しの角にあった皿を持ち上げる。隠れ家を失った彼の動きが再び止まる。
こちらを向く。眼が合う。
この数ヶ月の闘いの記憶が脳裏に浮かぶ。わざわざこの老兵に手を下すのか。冬も近い。しかし、そんな勝手な憐憫こそ、我々の関係を侮辱しているのではないだろうか?
感慨とか共感とか孤独とかは、すべてこちらの一方的なものに過ぎない。"彼"にそんなセコい感情はないのだから。そんな人間の、いやおれの狭いフレームを当てはめるな。
人間と、ゴキブリなのだ。
おれが万感の思いとともに洗剤をその身に振りかけるまで、"彼"は微動だにしなかった。水色の粘液に塗れて初めて、危険を察知したのか流し場の対角線に突進した。その数瞬の素早さだけは往時のそれだったが、すぐにその動きは鈍重になり、やがて止まった。
おれは努めて事務的に、レジ袋でその身体を包み、ゴミ袋へ投げ入れた。
そしてやっぱり我慢できずに、少しだけ、手を合わせてしまう。